堀内優美さんの書き下ろしエッセイ「Holly You and Me」の第2回「月に願いを」を掲載します。第1回「紅葉色の春、訪れて」はこちらに掲載しています→https://ideanews.jp/archives/2891 (アイデアニュース編集部)
茜色から藍色に染まる夕暮れ時の空がとても好きだ。太陽が西の水平線に沈むと星々が少しずつ顔を出し、光彩を放った月が水面に映る。その光景はまるで人の心を示すかのように、見るたびに違った表情を演出してくれる。
幼稚園から小学校時代、祖父母の家近くの学校に越境通学していた。当時、母は新聞社に勤めており、急な取材が入ると帰宅が遅くなるため、三六五日×八年間のほとんどを祖父母の家で過ごした。
祖父母の家は、かつての城下町の面影を残す下屋敷というエリアにあり、近くには庶民的な商店街、白砂青松の海岸、風光明媚な城山があって、のどかで人情味豊かな環境だった。その町では防災行政無線チャイムの音楽が住民たちの時計代わりになっていて、午前七時と正午には「 椰子の実」、午後五時には「夕焼け小焼け」、午後十時には「江戸の子守唄」と音色を奏でた。
「夕焼け小焼け」が鳴り終わる頃、藍色がモノクロに移り変わる空を見ながら母と手をつないで散歩した。街灯の少ない路地では月明かりが頼りで、時々空を見上げてみる。
「満月の夜に願い事をとなえたら、お月さまが叶えてくれるのよ」
まだ幼い少女だった私は、母のその言葉を素直に信じて、月に願いをかけみた。
◇
その頃、クラスメイトにモモちゃん(仮名)という友達がいた。まるでフランス人形のような可愛い少女で、放課後は彼女の家に遊びに行き、一緒に宿題をしたり、ハーモニカを練習したりしながら過ごした。家はお城のように広く、部屋には可愛いぬいぐるみやお人形がたくさん置いてあった。
おとぎ話みたいな夢物語に憧れていた私は、お姫様のようなモモちゃんが大好きだった。髪型も同じように結ってもらい、お揃いのカバンや文具を買ってもらった。
はじめて招いてもらったお誕生会ではふわふわのドレスに白いリボンをつけたモモちゃんが登場し、おめかしした友達が集まった。テーブルには色とりどりのめずらしいお菓子がたくさん並べられている。部屋の明かりが消え、八本のろうそくの立てられたケーキを彼女の母親が運んできた。
お誕生日の歌をみんなで合唱した後、ろうそくに灯された火を息でふっと消すと、大きな拍手が起こった。
「次はユミちゃんのお誕生会だね」
◇
当時越境通学だった私は、学校の友達を自宅に招くには距離があったため、祖父母の家で誕生会をするしかなかった。
祖父母の家は築数十年の長屋で老朽化していて、床を歩くたびにきしみ音を立てていた。何かの集いで四十人ほど家に入った際、畳の底が抜けるハプニングに見舞われたこともあった。
遊びに来たことのあるクラスの男子に「お前のばあちゃんボロ家住まい」とからかわれ、それ以来友達を家に呼ぶことを避けていた。しかし友達は楽しみにしている様子で、もはや誕生会を中止にすることはできない。
祖母が誕生会に着るための新しい服をお祝いに買ってくれた。それはフリルの付いたワンピースで、モモちゃんが着ていたようなドレスとは違う。
私はぽつりと呟いた。
「お誕生会、中止にできひんかなあ……」
祖母は、なんでそんなこというんや、とたずねた。
「おばあちゃんちに友達呼ぶの、恥ずかしい……」
言葉にした瞬間、しまったと後悔したが、祖母は何も言わず台所へ行き、夕飯の支度をはじめた。黙っている祖母の背中に「おばあちゃん、ごめん……」と言ってみたが、返事はない。
しばらくして祖母は実姉に電話し、私の誕生会を姉の家でさせてほしいと頼んでいた。祖母の姉の家は二階建ての新築だった。
おばちゃんちなら友達を呼んでも恥ずかしくない、私は素直に喜んだ。
◇
誕生会の前日、母と商店街に買い物に出かけた。母の生まれ育った町なだけに、どこのお店に入っても話しかけられる。ケーキ屋のおじさんからは「おじいちゃんからとびきり大きなケーキを頼まれてるよ」と声をかけられた。
服屋のおばさんは「おばあちゃんに買ってもらったワンピースは着てみたかい?」と頭をなでてくれた。八百屋ではレジのお兄さんが「友達の分もプレゼントや」と言って駄菓子を人数分、袋に入れてくれた。
その夜、寝つきが悪く、夜中に何度も目が覚めた。
隣で寝ている母が心配し「早よ寝なさい」と言う。
私はしくしく泣きながら、母に言った。
「やっぱりお誕生会は、おばあちゃんちがいい」
◇
そして迎えた誕生会、学校の友達がはじめて祖父母の家に訪れた。
大きなイチゴケーキにろうそくが八本立てられ、テーブルには母と祖母が作ってくれた料理とお菓子が並べられた。
私は祖母が買ってくれたワンピースを着て、みんなの輪の中央に座り、母に記念写真を撮ってもらった。
古い長屋のはずなのに、魔法がかけられたみたいにキラキラしていてあたたかい。
「おばあちゃんの家も、まるでお城みたいだね」
そう言って、モモちゃんはお揃いの小物入れをプレゼントしてくれた。
◇
みんなを見送った頃にはすっかり日が暮れ、夜空には満月が姿をあらわしていた。
「今夜はウサギさんもお誕生祝いのお餅つきをしてくれてるねぇ」
母にそう言われると、そんな風に見えてくる。
月の世界は年中正月なの?とたずねると「今日は正月よりもめでたいよ」と言った。
そういえば満月のたびに、月にお願いしていたことがある。
シンデレラのようなお姫様になれますように
そのことを母に打ち明けると、あんたは貧乏人のお姫様やね、と嬉しそうに笑った。
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<「Holly You and Me」これまでの掲載分(隔週木曜日に掲載中)>
第1回 紅葉色の春、訪れて → https://ideanews.jp/archives/2891
第2回 月に願いを → https://ideanews.jp/archives/3397
第3回 丘の上から青空見つめて → https://ideanews.jp/archives/3885
第4回 海の向こうへ → https://ideanews.jp/archives/4406
第5回 阪神電車の車窓から → https://ideanews.jp/archives/5131
第6回 夕陽に祈りをこめて →https://ideanews.jp/archives/5764