ドキュメンタリー映画『with…若き女性美術作家の生涯』に関わる人たちと交流する中で、多くの人たちから印象に残ったと言われるシーンがある。それは、佐野由美さんの教え子のコピラという女の子が病気になった時のエピソードが語られる場面だ。コピラの手を引いて家を訪ねた由美さんは、貧しくて薬を買うことができない事情をコピラの母から知らされ、自分が買ってきた薬を手渡す。しかし、薬を渡したことで、満足するのとは正反対に、かえってやるせない気の重さを抱える。由美さんの現地滞在の日記をまとめた書籍『ネパール滞在日記 パタンの空より』(絵・文 佐野由美 シーズ・プランニング発行 2001年)にも書かれている。
「私が一時的にものをあげても彼等の行く手はないのだ。終わりのない洞察に迷いこんだような気がした。どうしてこの世は不平等なのか」
そこにあるのは、カースト制度の格差により、底辺の生活を強いられた家庭の現実だった。日本にも貧困問題はあるけれど、アジアの最貧国といわれる発展途上国のネパールで、さらに社会の底辺にいる人たちが直面している貧しさというのは、先進国の暮らしから見れば、想像はできても実感にまでは及ばない。
そこで、実感を身近にたぐり寄せる手がかりをつかむために『with…』基金事務局の山本愛さんに会いに行った。山本さんは、由美さんと同時期の1998年にネパールでボランティアに取り組み、その後、NGO職員としてダリット(被差別カースト)の支援活動を行い、現在は大阪のとよなか国際交流協会で外国人の生活のサポート業務などに携わっている。
山本さんは、ネパールで由美さんと出会った時の印象を「彼女の存在は衝撃的でした」と語る。それまで勤めていた商社を辞め、違う生き方がしたいと思ってNGOが多いネパールにボランティアに行った山本さんは、パタン市のスラム街にあるラリット福祉小学校を見学した。そこに、美術教師のボランティアをしていた由美さんがいた。
「由美さんは、とても人懐っこくて魅力的でしたね。初対面の私にどれだけ生活が大変かなど、いろんな話をしてくれて、描いている絵も見せてくれました。それにまず、ネパール語で子どもたちとやりとりしている姿に圧倒されました。自分と同じような年頃の人が生活に溶け込んで、子どもたちとおしゃべりをしている。短期間でここまで動ける人がいるのかとびっくりしました。私がNGOに入ったのは、当時の由美さんとの出会いも大きかったです。彼女に出会ってエネルギー的なものを受け取って、会社員生活とは違う、新たな人生が展開していきました」。
その後、山本さんはダリットと関わるようになる。語学留学をする中で現地NGOの事務所を訪ね歩いた時に、ダリットの女性団体に出会った。そして、国際協力NGO職員として働いていた時にネパールへ派遣され、ダリット解放運動の現地調査を行った。「歴史的に受けてきた差別の結果として貧困層に置かれるがゆえに、適切な医療を受けられず、食べ物も十分に無くて栄養状態が悪く、女性の平均寿命は40代。そんな社会で抑圧されたダリットの人たちの状況を聞き、ショックを受けました」。そこで「あなたはなぜ自分たちに関わっているのか」とダリットの人たちに問われたことがきっかけで、山本さん自身の立ち位置について考えるようになる。
ある時、ダリットの人たちに「日本の部落問題について教えてほしい」と言われた。日本にも同じような差別を受けている人たちがいることは、学校の同和教育で学んでなんとなく知ってはいたものの、その問題を身近に感じることはなく、知識もなかった。しかし、ダリットの人々は、日本においてずっと力を奪われてきた人たちが自ら声を取り戻す過程、問題を社会化していく動きを学ぶことで、自分たちの活動につなげたいと願っていた。そのことがきっかけで山本さんは、日本の部落問題と「出会い直した」。
帰国後、ダリットの人たちを日本に招待し、部落解放運動を展開する地域をまわって情報交換する事業をNGOで行った。山本さんも同行し、共に学んだ。「日本の被差別部落に入っていく経験は、私にとって初めてでしたが、たまたま地元の部落解放同盟の支部に行った時に小学校の同級生との再会もあり、友人や仲間が増えていく中で、日本社会での自分の立場を認識するようになりました」。その立場というのは、「差別という構造の中での立ち位置」だという。
「自分が知らなかったというのは、知ろうとしなかったのであって、無関心が差別につながっていると気づいたのです。自分が差別発言をしたわけではありませんが、社会構造的に自分が差別をするマジョリティ(多数派)側にいるというのを、部落の人たちとの出会いの中ですごく感じるようになりました。差別される当事者だけが声を上げるのではなくて、実際に差別を生み出している社会において、多数派の力を持っている側に自分がいるのを認識した上で、そこを変えていくことが、私が関わる意味。支援者ではなく、社会を共に変える担い手としての連帯感の方が大きいです。今は子育て中でなかなか動けませんが、これからもネパールのダリットの人たちとも、日本の部落問題にも関わり続けたいです」。
遠くのことを身近にたぐり寄せる手がかりは、距離ではなく意識だった。山本さんの話で印象的だったのは、まずは「自分の立ち位置を知る」ということ。そこから何をすべきかを考え、行動している。由美さんの場合は、それが美術だった。ネパールの生活に溶け込み、社会の底辺にいる人が一生懸命生きている姿を描くことで、差別される人々に光を当てた。「私はダリットのことを頭で考えることから入っていきましたが、由美さんは体ごと飛び込み、現地の生活に自分を浸らせ、子どもたちとの関わり合いの中で現実を見つめていました」と山本さんは言う。
映画『with…』には、子どもたちの貧困の現実を知った由美さんが、将来手に職をつけるきっかけになるように、と授業で切り絵を教えるシーンがある。
『ネパール滞在日記 パタンの空より』にもこう記されている。
「私はここに来るとき、『生徒たちに、実生活に役立たない知識と表現を教えて人生をより豊かにする力にしてほしい』と考えていた。それが貧しい子供たちの魂をより深くひろいものになる力になると思っていた。けれども私の考え方は少しずつ変わってきた。ここの子供たちは本当に貧しい。少しでも仕事が、お金が、手に入る可能性が必要なのだ。私はこの子たちの生活に少しでも役に立つことを教えたい。いつの間にか自然にそう考えるようになってきた。いつの間にか私は徹底的に切り絵を教えるようになってきた。」
由美さんが始めたその切り絵の授業は、彼女がボランティアの任期を終えた後も、続けられている。
由美さんは、答えようのない課題に悩みながらも、自分なりの「答」を探し出していった。
誰もが由美さんのように現地に飛び込めるわけではない。しかし“心のものさし”を、「距離」でなく「意識の遠さ、近さ」に変えたら、遠くの出来事を身近なことにたぐりよせることができるのではないか。
※「with…若き女性美術作家の生涯」をめぐる連載の次回は、9月10日(木)に掲載する予定です。
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- <映画「with…若き女性美術作家の生涯」ネパール支援特別ロードショー>
【期間】2015年8月末まで(上映期間延長を検討中)
【上映会場】「天劇キネマトロン」大阪市北区中崎西1-1-8 - → http://amanto.jp/groups/tengeki/httpamanto-jpgroupstengekiaccess/
【予約・問い合わせ】電話 06-6371-5840(カフェ天人〈あまんと〉) - 【メール】with☆amanto.jp(メールアドレスの☆部分は@に変更してお送りください)
- 【申し込み方法】希望日時、代表者名、連絡先(電話、メール)、参加人数(4人~25人)を伝え、空いている日程の中からスケジュールを決める。
- 【上映可能時間】午前11時半から、午後10時まで。上映時間60分。
- ※スケジュールに「with上映会」と表示されている日時であれば、既に予約済みのグループに同席する形で、個人参加も可能。
- → http://amanto.jp/index.php?cID=152
【入場料】1500円+募金 - 【ドキュメンタリー映画『with…若き女性美術作家の生涯』公式サイト】 → http://with2001.com/
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山本さんがネパールで佐野由美さんに影響を受け「そこからすべてが始まる」と思い、実践したこととは? 山本さんの言葉で紹介します。
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