バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1911年原典版)(※1)
イーゴル・ストラヴィンスキー(1882年6月17日-1971年4月6日)作曲
推薦録音:ピエール・ブレーズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック(※2)
前回は、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』を通して、ファンタジックな人形と音楽について考察した。それは、呪いにかけられたくるみ割り人形が、お菓子の国の王子の姿に戻り、それを手助けした少女マリーがお菓子の国の王妃となるという、少年少女が憧れる夢物語であった。今回は、同じ西洋の人形でも、人間の心を持ってしまったペトルーシュカという人形の哀しい物語である。
■ ペトルーシュカという人形
バレエ音楽『ペトルーシュカ』は4場から成る管弦楽作品で、題名の通り、ペトルーシュカという名の人形が主人公のバレエ音楽である。このペトルーシュカという人形であるが、ロシアのみならず、広くヨーロッパ各地に異なった名前で存在している。例えば、ドイツでは“Kasperle”、イタリアでは“Pulcinella”、イギリスでは“Punch”、フランスでは“Polichinelle”という具合である。呼称はともかく、この人形は詐欺師、ペテン師、あるいは反逆者として扱われるのが常である。更に言うなら“道化師”であろう。
ロシアにおける人形劇は、18世紀のロマノフ朝時代に、女帝アンナ・イヴァノヴナがアジアから操り人形劇を輸入したことを嚆矢とする。この人形劇は、主に宮廷での娯楽や、キリスト教の教えを普及するために上演されたものであった。しかし、ペトルーシュカは操り人形ではなく手人形であり、屋外の簡易劇場(ポータブル式のものや組み立て式の小さな小屋)で一般大衆に向けて上演されることが主で、宮廷の操り人形とは異質のものであった。
ペトルーシュカが演じられる人形劇は、極めて定型のものであることが多く、不道徳なペトルーシュカが悪魔と対話することで正義を説くという、一見矛盾するような話の展開を見せ、最後は犬か警官、あるいは悪魔がその人形を引きずって行き、幕切れとなる。これは、「音楽と人形(1)」に出てきた、神の託宣を媒介する傀儡師の人形にも通じるものがある。そもそも説教や祝詞などというものは、神の言葉を拡散することを目的としているため、その語法は自ずから定型となることが運命付けられている。それを、人形劇を介して繰り返し繰り返し表現することで、道徳の浸透が助長されることになる。その目的のために、損な役割回りを、性根が悪い各国の“ペトルーシュカ”が担っているとも言えよう。
以下、第一場から第四場までの舞台を、1990年のキーロフ・バレエ団の公演を引用し、解説する。初演当時と同じ演出、振付け、衣装によるこの公演は、貴重なものである。また、それぞれの場面の開始時間も付けたのでご参照頂きたい。
■ 第一場:Shrovetideに浮かれる市場の情景-祭日の喧騒(0:00-9:40)
さて、ペトルーシュカの物語は、1930年代のサンクトペテルブルクの海軍省広場から始まる。激しく蠢くロシア風の音楽に乗せ、多くの人々が、キリスト教の四旬節の初日である“灰の水曜日”前の Shrovetide(“懺悔の三日間”)を市場で過ごしている。躍動的で変則的な旋律が、祭日の喧騒を巧みに表現している。観覧車が回転し、人々が踊り、歌うざわめく市場の中に、シャルラタンという老魔術師が登場し、笛を吹きながら人形劇の観客を集め、彼らに魔法をかける。そして、ペトルーシュカ、踊り子、ムーア人の3体の人形を舞台に取り出し、それぞれに命を吹き込む。
芝居小屋の壁に括りつけられていた3体の人形は、最初は足を動かしてロシアの踊りを舞い始めるが、やがて人形達は突然舞台から飛び出し、観客の中で生き生きとロシアの踊りを披露する。ペトルーシュカは踊り子に恋心を抱き、近づこうとするが、踊り子はムーア人と仲睦まじく踊るばかり。それに嫉妬したペトルーシュカは、シャルラタンから渡された棒を振り回し、暴れる。やがてシャルラタンが魔法を解いたことで、3体の人形は踊りを止め、地面に崩れ落ちる。
■ 第二場:ペトルーシュカの部屋-人形の独白(9:41-14:14)
舞台は暗転し、ここはペトルーシュカの部屋。星や半月が描かれた漆黒の壁には、シャルラタンの肖像画がぼんやりと浮かび上がっている。シャルラタンに蹴とばされながら、ペトルーシュカが部屋に転がり込んでくる。扉を閉められ、一人になったペトルーシュカはゆっくりと起き上がり、壁を叩きながら部屋から脱出しようと試みる。見世物小屋での奴隷のような生活に絶望し、寂しさに耐える自分を憐れんでのことである。そして、踊り子に恋心を抱いていることに葛藤を覚え、人間の感情があるがゆえに悶え苦しむ。
そこに突然シャルラタンが踊り子を放り込む。ペトルーシュカは有頂天になり、自分の気持ちを伝えようと踊りながら踊り子に近づく。驚いた踊り子は部屋から逃げ出し、ペトルーシュカは彼女を追いかけようとするが、突然扉が閉まり、彼はまた部屋に閉じ込められる。外に出ようと怒りをぶつけるペトルーシュカであるが、力尽き再び倒れ込んでしまう。この場面では、ハ長調と嬰ヘ長調の3連音が並列されて構成される、有名な“ペトルーシュカ和音”がクラリネットとトランペットで演奏される。この不気味な不協和音によって、ペトルーシュカの煩悶と、シャルラタンに対する呪いが強調されている。
■ 第三場:ムーア人の部屋-ムーア人と踊り子とのデュエット(14:15-19:19)
原色の派手な南国の花や動物に彩られ、異国情緒あふれるムーア人の部屋。ムーア人がベッドに寝ころびながら椰子の実で遊んでいる。ペトルーシュカと違って、ムーア人はヴァカンス気分である。椰子の実を割ろうとムーア人は刀を抜くが、全く割れない。そこへ、シャルラタンが踊り子を放り込むと、小太鼓の小気味よいリズムに乗って、踊り子がラッパを吹きながら行進する。
やがて、踊り子がワルツを踊り始める。最初は興味深げにそれを見ていたムーア人であったが、二人でデュエットを楽しむようになる。しばらくしてムーア人は一人で座り込み、踊り子の華麗なワルツを手拍子で囃し立てている。
ここは、ストラヴィンスキーが、ヨゼフ・ランナー(※3)の『シュタイアーマルク風舞曲』と『シェーンブルンの人々』の旋律を引用・編曲した箇所である。
ヨゼフ・ライナー『シュタイアーマルク風舞曲(※4)』(引用部分1:28-)
ヨゼフ・ライナー『シェーンブルンの人々(※5)』(引用部分0:38-)
ムーア人と踊り子が一緒に踊っている最中、突然シャルラタンがペトルーシュカをムーア人の部屋に放り込む。二人が仲良く踊っていることに嫉妬したペトルーシュカは、ムーア人を追いかけまわすが、逆にムーア人に踏みつけられ、部屋から追い出されてしまう。(19:19-21:15)
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■ 第四場:終幕、再び市場の情景-雄大なロシアの夕暮れ(21:14-35:09)
■ 『ペトルーシュカ』作曲の経緯
■ 『春の祭典』と『ペトルーシュカ』に共通するもの
■ 人形と音楽
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