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音楽さむねいる:(20)人形と音楽 (2)チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』

筆者: Koichi Kagawa 更新日: 2017年3月11日

バレエ音楽『くるみ割り人形』(1911年原典版)(※1)

ピョートル・チャイコフスキー(1840年5月7日-1893年11月6日)作曲

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる

「人形と音楽」と題したエッセイの前回は、早春の風物詩である雛人形から話を進め、日本が誇る人形浄瑠璃を、民俗学的・宗教史な視点から俯瞰してみた。人形は元来神の託宣を伝達する装置であり、時代が下るにつれ、過去の出来事や現世の情けを浄瑠璃に乗せて語るための仕掛けとなっていった。そこで人形が担った役割とは、人々の背後に控えた大きなメッセージを媒介する擬人としての存在であった。

この稿で紹介するのは、日本を遠く離れた西洋の人形と音楽についてである。日本における人形芝居とは異なり、西洋の人形は、神や人間の意思を伝えるメッセンジャーではなく、人形自ずからが大きな力を発揮し、人間の空想を叶える超人的な存在として位置付けられている。西洋では、人形がそのように活躍する物語があまた存在する。

■ くるみ割り人形とバレエの伝統

人形と西洋音楽と言えば、真っ先に思い浮かぶのが、チャイコフスキー作曲のバレエ音楽『くるみ割り人形』であろう。ここでは、『くるみ割り人形』を取り上げ、その成立の経緯と構成から人形と音楽を考察してみたい。

日本で第九の演奏会がピークになる12月、欧米ではこの曲が盛んに上演される。それは、バレエの原作であるドイツの作家ホフマン(※2)の手になる『くるみ割り人形とネズミの王様』が、クリスマス・イブの出来事を描いたファンタジーであることが理由である。私がアメリカに住んでいた時も、感謝祭を過ぎた頃から、街の随所に『くるみ割り人形』のポスターが張られ、クリスマスを間近に控えた12月には、小さな子供たちが両親に手を引かれてこのバレエを鑑賞に行く姿があちこちで見られたものである。

日本では、子供や女性は別にして、男性はあまりバレエを見に行く習慣がないようだが、バレエの伝統が長い欧米では、男性も正装して劇場に足を運ぶ。そして、チャイコフスキーやプロコフィエフなど、著名な作曲家が音楽を書いたバレエ公演を楽しむのが、成人男女の一つの社交儀礼=プロトコルのようになっている。バレエが、紳士淑女が楽しむれっきとした大人の芸術として認知されているのである。

■ チャイコフスキーの困難

『くるみ割り人形』は、マリインスキー劇場がチャイコフスキーに委嘱した、新作のバレエ音楽である。『白鳥の湖』に続く彼のバレエ音楽の第二作である『眠りの森の美女』は、1890年にマリインスキー劇場で初演され、好評を博していた。これに気を良くした劇場側は、すぐさまチャイコフスキーに、ホフマンの原作による新作バレエを依頼したのであった。

しかし、当時のチャイコフスキーは、創作面において様々な困難に直面していた。即ち、彼のパトロンであったフォン・メック夫人(※3)からの莫大な資金援助が打ち切られ、また、委嘱された作品が童話を下敷きにしたものであることから、そのような作品に音楽を付けることに対しては自信が持てなかったのである。まさに、弱り目に祟り目の中での作品依頼であった。加えて、海外での度重なる演奏会の予定が、彼の創作における困難に拍車をかけた。

しかし、マリインスキー劇場のバレエ監督であったマリウス・プティパ(※4)自身が台本を手掛けるなど、劇場側も最大の支援を行ったため、チャイコフスキーは重い腰を上げ、1891年から『くるみ割り人形』の作曲に取り組み始めた。注目すべきは、その年の3月に、ロシア音楽協会から新作を含む演奏会の依頼を受け、作曲中のこの作品から8曲を選んで演奏したことである。たまたま新作が手元になく、新しい作品を作曲する時間も見いだせなかったことから、作曲中の8曲を組曲としたこの作品が、有名な「花のワルツ」を最後の第8曲に擁する、組曲『くるみ割り人形』である。

華やかなダンスが印象的な、吉田裕史指揮、ボローニャ歌劇場フィルハーモニーのニューイヤーコンサートの「花のワルツ」。

■ 台本の問題-原作とバレエの比較

作曲の途中で、マリウス・プティパが病気で倒れるなど、艱難辛苦の後、チャイコフスキーはバレエ『くるみ割り人形』を完成させ、1892年12月18日にマリインスキー劇場での初演にこぎつけた。しかし、評判は大成功とは言えないものであった。それは、バレエの台本に原因があった。

そもそも、このバレエの台本は、ドイツ人であるホフマンの原作を、アレクサンドル・デュマ親子が書いた童話をベースにしている。デュマの童話は当時のロシアではよく知られたものであり、バレエのために大幅に省略されたこの物語は、ロシアの観衆にとっていささか物足りないものであったようだ。そこで、人形が活躍するこの物語を、ホフマンの原作(デュマの童話)と、プティパ=チャイコフスキーの台本で比較してみたい。少々長いが、以下原作を要約した各段落の冒頭に、それぞれ対応するバレエの場面を示した。因みに、バレエでは、主人公の女性の名前はクララとなっているが、ここでは原作通りマリーとする。

<序曲>

<第一幕:第一場>

1)情景・クリスマス・ツリー、2)行進曲、3)小さなギャロップ・新しいお客様の登場、4)踊りの情景・子供達への贈り物、5)情景・グロースファーターの踊り

クリスマスの夜、シュタールバウム家ではクリスマス・パーティーが催され、子供たちが楽しそうにはじゃいでいる。

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※5 Piotr Tchaikovsky: The Nutcracker – Ballet in two acts(EuroArtsChannelより)

そこへ、ドロッセルマイヤーおじさんが、子供たちにプレゼントを持って訪れる。末娘マリーは、プレゼントとしてくるみ割り人形を選んだ。マリーは、不格好なこの人形が気に入ったが、兄のフリッツが大きなくるみを割ろうとして壊してしまう。ドロッセルマイヤーおじさんが修理したくるみ割り人形を可哀想に思ったマリーは、人形をベッドに寝かして看病する。

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6)情景・お客様の退場・子供たちは寝室へ・魔法の始まり、7)情景・くるみ割り人形とネズミの王様との闘い・くるみ割り人形の勝利・そして人形は王子様に姿を変える

子供達が寝静まった真夜中、突然7つの首を持ったネズミに率いられたネズミの軍隊が現れ、くるみ割り人形が他の人形たちを指揮して戦いを始めた。そこで、マリーがくるみ割り人形軍を助けて、ネズミの軍隊は敗退した。

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<第一幕:第二場>

8)情景・冬の松林、9)雪片のワルツ

<第二幕>

10)情景・魔法の城、11)情景・クララと王子とくるみ割り人形の登場、12)ディベルティスマン(チョコレート:スペインの踊り、コーヒー:アラブの踊り、お茶:中国の踊り、トレパック:ロシアの踊り、葦笛の踊り、メール・シゴンニュとポリシネルたちの踊り、13)花のワルツ、14)パ・ド・ドゥ(アダージョ、ヴァリアシオンI:タランテラ、ヴァリアシオンII:ドラジェ“金平糖の踊り”、コーダ)、15)終幕のワルツとアポテオーズ

くるみ割り人形は、勝利のお礼にと、マリーをお菓子の国へと招待した。

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■ 踊りに終始する第二幕と初演の評価

第二幕は、上にあるように、“くるみ割り人形は、勝利のお礼にと、マリーをお菓子の国へと招待した”という筋書きに依るだけで、お菓子の国の情景を音楽と踊りのみで描き、全てを完結させている。この幕ではホフマンの原作は大きく割愛され、物語で情景を展開させていく代わりに、チョコレート、コーヒー、お茶、トレパック(ねじりキャンディー)といったお菓子や飲み物の精を舞台に登場させ、それぞれが特徴のある踊りを披露していく。華やかな音楽と舞踏の祭典といった印象があるこの幕は、「花のワルツ」や「葦笛の踊り」(某携帯電話会社のCMでお馴染み)を始めとした、チャイコフスキーの有名な旋律が醍醐味である。やはり、チャイコフスキーは、童話をモチーフにした作品に音楽を付けることが苦手であったため、物語性の強い部分を大きく省略し、音楽を前面に出せるような台本にするため、プティパに対して要望を出したのではないかと想像できる。天才ベートヴェンもオペラは一作しか残さなかったように、異才チャイコフスキーも童話には苦手意識があったのかもしれないと思うと、逆に何故か親しみを感じてしまう。

しかし、第一幕から通してみた際、物語の展開としては唐突な感じが否めず、全曲を通じて主題が曖昧であるという理由で、初演の評価はあまり芳しいものではなかった。従って、振付けや演出も定番と言ったものがなく、その自由度が極めて大きいため、現在でも新趣向による演出や振付が試みられる結果となっている。

※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、チャイコフスキー=プティパがバレエ音楽『くるみ割り人形』で省略している部分、ホフマンの原作『くるみ割り人形とネズミの王様』に書かれたくるみ割り人形の秘密を解き明かす部分について説明しています。音楽さむねいる(21)「人形と音楽(3)」は、ストラヴィンスキーのバレエ『ペトルーシュカ』についての解説で、3月12日に掲載する予定です。

<有料会員限定部分の小見出し>

■ 省略された物語

■ 初めてのチェレスタ

■ クリスマスの風物詩へ

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<筆者プロフィール>Koichi Kagawa/1961年徳島市生まれ。慶應義塾大学法学部、並びに、カリフォルニア大学バークレー校大学院卒業。経営学修士(MBA)。1983年大学卒業と同時にシティバンク東京支店に入行。以後、今日まで複数の欧米金融機関でCOO等要職を歴任。現在、某大手外資系金融機関に勤務。幼少期からクラシックからジャズ、古典芸能、果ては仏教の声明に至るまで、幅広い分野の音楽に親しみ、作曲家とその作品を取り巻く歴史的・文化的背景などを通じ、「五感で感じる音楽」をモットーに音楽を多方面から考え続けている。 ⇒Koichi Kagawaさんの記事一覧はこちら

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