大阪へ向かう電車の窓から外の景色を眺めると、川の水面に映る光と影が目に飛び込んでくる。その光景を見るだけで、たくさんの幸せがこの街にあふれているような気がする。
島を離れ、大阪の街に出てきた私は、昼間は大学に通いながら、あがり症を克服するため、夜はアナウンス学校、週末は「クイーン淡路」の仕事と、多忙な日々を送っていた。周りの友達はサークルやクラブ活動と、絵に描いたようなキャンパスライフを送っていたが、私にはまるで縁遠かった。
この頃、一人暮らしをはじめたばかりでたびたびホームシックになり、さみしくなると父方の親戚の家で寝泊まりをしていた。父の叔父にあたる大叔父は、両親を早くに亡くした父を弟のように可愛がり、娘である私のこともたいそう可愛がってくれた。父は19歳の時、大叔父の家で下宿しながら神戸のアパレルメーカーに勤めていたが、重い病気を患ったため、島に戻ったという。不思議な縁でちょうど私も父と同じ年の頃、同じ家でお世話になっていた。
大叔父は、阪神電車沿線にある大阪市内の下町風情を残す街で喫茶店を営んでいた。近くには川が流れていて、大小様々な形の橋がいくつも架かっている。店内は昭和レトロな雰囲気を残し、朝から夕方まで常連客で賑わっていた。開店と同時にやってくるお客さんたちは、朝刊をここで読み、モーニングを食べながら今夜のプロ野球の予想を議論しあってから、それぞれの職場へ出かけていく。
大叔父が身体を壊してからは息子(父の従弟)がマスターをつとめ、バターたっぷりの厚切りトーストとマスターの入れた焙煎珈琲で1日がスタートする。昼になると近くの工場で働く職員たちがやってきて、昼食をとりながら身体を休めていた。大叔母とマスターのお嫁さんが作る定食はボリューム満点で定評があり、出前注文が入ることも多かった。
私は子供の頃から、このお店の「ミックスジュース」が好きだった。たっぷりの牛乳にバナナ、みかん、りんご、もも…とフルーツを丸ごとミキサーにかけて出来上がる。大叔母が作る鉄板皿に乗った「ナポリタン・スパゲッティ」も評判が良く、玉ねぎ、ピーマン、ウインナー等の具だくさんのスパゲッティに粉チーズをかけると、ほっぺが落ちるほど美味しかった。珈琲やミックスジュースは250円、昼食はワンコインでお釣りがくる良心的価格で「常連さんたちに負担をかけられない」との理由で何十年も値上げをしていなかった。
夜になると、マスターは英語の先生に変身し、喫茶店の上階で英会話教室を開いていた。学生から社会人まで生徒が集い、笑い声に包まれながら授業が始まる。週に数回イギリス人の先生がやってきて、私もそこで英会話を習った。
20歳の時には「サンテレビガールズ」に選ばれ、その際も大叔父の家から神戸まで通わせてもらった。帰りが遅くなると、大叔父の孫である小学生の少女が駅の改札口まで迎えにきてくれた。彼女と一緒に歩いていると街の人たちが、島から来てるお姉ちゃんやね、島にいるお父さんは元気してるか、と声をかけてくれる。また、お店に集まった近所のお客さんたちも、私が数十秒間だけ出演する番組の放送時間になるとテレビのチャンネルを合わせてくれて「見てみ、うちの子や!」と、あたたかく応援してくれた。遠方でロケがあるときはマスターが開店前から朝食を用意してくれ、その方面に行くお客さんに車で送ってもらったこともあった。
その頃の大叔父は体調が思わしくなく、入退院を繰り返していた。それでも私が行くと起き上がってきて、「美味しいもん食べや」と、私の手に千円札を握らせた。子供の頃から大叔父は、駄菓子屋に連れて行ってくれては「好きなだけカゴに入れなさい」と言って、お菓子をたくさん買ってくれた。「おっちゃんには、何で恩返しをしたらいいかなぁ?」とたずねると大叔父は「出世して芦屋のロクロクソウ(六麓荘)に豪邸を建ててくれたらそれでええ」と冗談まじりに、優しく笑った。
大叔父の入院期間が長くなってからは、あまり負担をかけてはいけないと思い、泊まりに行く回数を控えた。とはいえ、やっぱり気になって、収録が早く終わった日に病院を訪ねてみると、よう来てくれたなあ、と喜んでくれた。その日の大叔父は体調も良く、昔話や思い出話に花を咲かせた。父の身体のことをいまだに気にしていたので、もうすっかり元気だと伝えると、そうか、と嬉しそうな顔をしたが「それでも無理したらあかんと伝えてくれ」と心配している様子だった。
「人の体のことよりも、おっちゃんこそ豪邸建てるまでは元気でいてもらわなきゃ」と言うと、「せやせや、ロクロクソウに住ませてもらわないとなぁ」と、目を細めて笑った。帰り際に、また来るね、と手をふると「遠慮せんと、いつでも来たらええんやで」と、見送ってくれた。いつでも来たらええ……この言葉にどれだけ支えられ、甘えてきたことだろう。きっと大叔父は、かつて父がここを去ったときも、同じ台詞で見送ったに違いない。しかし、それが大叔父と交わした最後の言葉になってしまい、叶わぬ夢となった。
歳月は流れ、今ではお店もなくなり、もはやその駅で下車することもなくなった。それでも阪神電車からその駅名を呼ぶアナウンスの声を聞くと、車窓から見えるなじみの景色に目を奪われ、お店の場所を探してしまう。駅の改札をくぐれば、そこには小さな少女が私の帰りを待っていて、川近くの喫茶店に連れて帰ってくれるかもしれない、そんな夢のような錯覚を覚えながら、優しい笑顔を思い出す。
「Holly You and Me」第5回「阪神電車の車窓から」 おわり
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<「Holly You and Me」これまでの掲載分(隔週木曜日に掲載中)>
第1回 紅葉色の春、訪れて → https://ideanews.jp/archives/2891
第2回 月に願いを → https://ideanews.jp/archives/3397
第3回 丘の上から青空見つめて → https://ideanews.jp/archives/3885
第4回 海の向こうへ → https://ideanews.jp/archives/4406
第5回 阪神電車の車窓から → https://ideanews.jp/archives/5131
第6回 夕陽に祈りをこめて →https://ideanews.jp/archives/5764
アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】 「大阪名物、昔ながらの喫茶店のミックスジュースを自宅で再現!」(堀内優美)
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