音楽さむねいる(14)ロシアン・メランコリック・スウィートの系譜(2) 私的・体制的苦悩が生み出す情調 | アイデアニュース

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音楽さむねいる(14)ロシアン・メランコリック・スウィートの系譜(2) 私的・体制的苦悩が生み出す情調

筆者: Koichi Kagawa 更新日: 2016年11月18日
連載:音楽さむねいる(14)

 

 

『交響曲第二番』より「第三楽章」(1908年)

セルゲイ・ラフマニノフ(※1)(1873年4月1日-1943年3月28日)作曲

 

『交響曲第五番』より「第三楽章」(1937年)

ドミトリ・ショスタコーヴィチ(※2)(1906年9月25日-1975年8月25日)作曲

 

Koichi Kagawa の 音楽さむねいる

Koichi Kagawa の 音楽さむねいる

 

 

 

■ 六本木のジャズ・バー、マデュロにて

 

六本木のグランド・ハイアット東京の4階にあるバー、マデュロ(Maduro)。ここでは毎晩ジャズの生演奏が繰り広げられている。雨上がりの金曜日の夜、無性にジャズが聞きたくなり、仕事帰りに久々に立ち寄ってみた。いつものように、ピアノのサイモン・コスグローブ、ベースのポール・ダウヤー、ドラムのデニス・フレーゼが、オフ・ヴォーカルの演奏を繰り広げている。軽快なリズムにのって、仕事の疲れを癒すべく、リオ・オリンピックに因んでパッション・バチーダで喉を潤す。パッション・フルーツとビンガのハーモニーが滑らかな酔い心地を誘う。

見渡すと、時間が早いせいか空席が目立つ。こんなマデュロも良いものだとカクテルグラスを口に運ぶと、トリオが耳に心地よいメロディーを演奏している。聞き覚えのある曲。多分『Never Gonna Fall in Love Again』のヴァリエーションであろう。『Never Gonna…』と言えば、ラフマニノフの『交響曲第二番』第三楽章をモチーフにした名曲である。私が次に“ロシアン・メランコリック・スウィート”の系譜として紹介しようと考えていたのが、まさにこの曲である。それが、今夜こんなジャズ・バーで聴けるとは!これは偶然ではなく必然かも知れないと、このコラムの続編を書くに意を強くした次第。

ということで、前回に引き続き“ロシアン・メランコリック・スウィート”の系譜ということで、今回は日本人が大好きな作曲家、ラフマニノフの『交響曲第二番』第三楽章、そして、その系譜を引き継ぐものとして、ショスタコーヴィチの『交響曲第五番』第三楽章を取り上げたい。

 

■ 『交響曲第一番』の失敗からの脱出と『ピアノ協奏曲第二番』

 

ラフマニノフは史上有数のピアニストであり、卓越した技巧によって数々の名演奏にその名を残した。また、指揮者としても重要な存在であり、ボリショイ劇場のオペラ指揮者としても活躍している。しかし、ラフマニノフが作曲家として確固たる名声を得たのは、やはり『ピアノ協奏曲第二番』であろう。ショパン、リストと並ぶピアノ曲作家として、彼はこの曲で後世に名を残すことになるが、強烈な“ロシアン・メランコリック・スウィート”が顕示されるのは、その第二楽章である。

1897年、ラフマニノフ最初の交響曲である第一番の初演は惨憺たるものであり、批評家や他の作曲家からは酷評が浴びせかけられた。この失敗によって、ラフマニノフは鬱状態と深刻な自信喪失に陥り、創作活動から一時身を引くことを余儀なくされた。2年後、ロンドン・フィルハーモニック協会から『ピアノ協奏曲第二番』の作曲を依頼されるも、不安定な精神状態は解消されなかった。しかし、1900年にニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると精神衰弱は快方に向かい、第二楽章から書き始めたこのピアノ協奏曲は、一年後の1901年に完成を見た。作曲者自らがピアノを演奏した初演は大成功を収め、彼は見事に楽壇復帰を果たすことができたのである。ラフマニノフの、そしてクラシック音楽全体の不朽の名作『ピアノ協奏曲第二番』がいかに人気を誇る曲であるかは、その美しい旋律が現在に至るまで、数々の映画音楽やポピュラー音楽、TVコマーシャルに引用され続けていることから理解されよう。

 

■ 『交響曲第二番』~つかの間の幸福と大戦前夜の狭間で~

 

さて、本題の『交響曲第二番』であるが、これは、『ピアノ協奏曲第二番』の成功に自信を回復したラフマニノフが、ナターリア・サーチナとの結婚と、続く二子の誕生という、私生活においても幸福で安定した時期に書いた作品である。しかし、この作品が作曲された時代のロシアは、対外的には日露戦争での敗戦、対内的には“血の日曜日”事件(※3)などの混乱が見られ、国の形が大きく変化しようとする時期と軌を一にしている。1914年に第一次世界大戦へ参戦した後、長引く戦争によって国内経済は混乱・低迷を続け、食糧不足から各地でストライキが多発するようになる。そして、1917年の十月革命に続くロマノフ朝の崩壊、1922年のソヴィエト連邦誕生へと、この国を支配する運命の歯車はめまぐるしく回転していく。このような国内の政情不安を避けるため、ラフマニノフは1906年から1907年にかけてドレスデンに滞在し、この曲を完成させた。

第四回の「音楽と光」でも書いたが、フランスではこの頃、ベル・エポック(古き良き時代)と呼ばれる文化が、第三共和制の下で最盛期を謳歌していた。ブルジョワジーと呼ばれる中間層たちがその文化の担い手となり、芸術家たちはこの時代の空気を呼吸しつつ、新しい表現を目指して試行錯誤を繰り返していた時代である。私は、ラフマニノフの『交響曲第二番』の第三楽章を聴くたび、大戦前夜の東西ヨーロッパに芽生えた文化の存在を強く感じる。それは、甘く、かつ、ある種のすえた“匂い”をも連想させる、どこか妖しく危うい光の支配する世界である。またそれは、光の燦めきが一瞬空を黄金色に染めるに見えたかと思うと、瞬く間に闇に落ちてしまうような儚い運命にもある。

パリではドビュッシーやラヴェルが、後に印象主義と呼ばれる新しい芸術作品を生み出していたが、ロシアでは、音楽に新機軸をもたらすような芸術運動は起こらなかった。反対に、伝統的なヨーロッパの音楽を指向するロシア音楽協会派(※4)と、ロシア民族音楽を創作の基軸に置いた国民楽派が対峙していた。前者は、ロシア初の音楽院であるモスクワ音楽院とサンクト・ペテルブルグ音楽院を設立し、ドイツの音楽教育をモデルとしたカリキュラムにより、ロシアの音楽界を担う人材の育成に乗り出した。バラキレフはこの方針に真っ向から対立し、“五人組”を組織して国民楽派を率いることになる。ロシア音楽協会のサンクト・ペテルブルク音楽院で学び、また教鞭をとった作曲家にチャイコフスキーがいる。そして、彼を規範として、後期ロマン派の音楽造りを継承した作曲家の一人がラフマニノフである。

 

■ 交響曲におけるアダージョの最高傑作

 

交響曲におけるアダージョの最高傑作ラフマニノフの『交響曲第二番』の第三楽章は、このような時代を背負った彼が、極度の精神衰弱から復帰し、一時の平穏を得た時期に書いた作品だけに、その比類なき美しさが秀逸な緩徐楽章となっている。この楽章は、“アダージョ”を題名にしたバーバー(※5)の『弦楽のためのアダージョ』(※6)と、“アルビーノのアダージョ”と呼ばれるジャゾット(※7)の『アダージョト短調』(※8)の二つの“非交響曲”を除いて、マーラー(※9)の『交響曲第五番』第四楽章(※10)と共に、交響曲におけるアダージョの最高傑作だと私は考えている。この曲は、後期ロマン派的な調性を身にまとい、全編に散りばめられた“ロシアン・メランコリック・スウィート”の香りが沸き立つ作品である。

第三楽章の冒頭、弦楽器が優しく甘い感傷を湛えた短い導入部を演奏すると、この極めて美しい旋律に人は心を揺さぶられるであろう。続いてクラリネットが哀愁漂う詩情豊かな旋律をゆっくりと歌うと、オーケストラ全体が導入部の主題を盛り上げ、頂点を形作っていく。そして、木管楽器がオーケストラとの対話を繰り返す中で、曲は更なる頂点へと昇っていく。ここは、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番』第一楽章のモチーフとも共通する、非常に雄大な展開部である。やがて、曲は全休止の後、前半に提示された動機が異なる楽器で繰り返された後、ゆっくりとたおやかに流れ、最後部でもう一度大きく感動的な盛り上がりを見せると共に、次第に静かに収束して閉じられる。

この楽章における“ロシアン・メランコリック・スウィート”の神髄は、一言で言うなら“平穏の中の情熱”であろう。『ピアノ協奏曲第二番』は人々に熱狂的に迎えられたが、最初の交響曲の失敗から立ち直っていない中、ラフマニノフは『交響曲第二番』に着手した。彼の心底には、交響曲を作曲することに対する不安や怯えがあったに違いない。だが、この作品の第三楽章に流れるテーマとして私が感じるのは、静かに沸き上る情熱と希望、そして、生に対する大らかな肯定である。ダーリ博士の催眠療法の成果が顕著であったからかも知れないが、この楽章には、ラフマニノフがかつて鬱状態にあったとは思えないほどの前向きな趣が感じられる。ラフマニノフは、やはり『ピアノ協奏曲第二番』の成功により、その創作に対する生涯の道標を見つけたのではないだろうか。

忘れられないほどに美しい旋律を裏付けるこれらの肯定的な要素に、人々がこの交響曲の第三楽章に惹き付けられる理由を見つけることができる。その影響力の強さから、この第三楽章も、ラフマニノフの傑作『ピアノ協奏曲第二番』と共に、様々なジャンルの音楽に引用されている。その中で最も有名なのが、冒頭のエピソードで紹介した、エリック・カルメン(※11)の『Never Gonna Fall in Love Again』(※12)であろう。1976年のこの曲は、日本では『恋にノータッチ』というタイトル(少々安直なネーミングであるが)でリリースされている。

 

■ 長大な原作の発見とアンドレ・プレヴィン(※13)の演奏

 

ラフマニノフ自身の指揮により、サンクト・ペテルブルグのマリインスキー劇場で初演された『交響曲第二番』は、前作の交響曲とは全く異なり、熱狂的な称賛をもって迎えられた。この成功によって、ラフマニノフは彼の『ピアノ協奏曲第二番』に引き続き、二回目の“グリンカ賞”を受賞。そして、ようやく自らを、真に尊敬に値する作曲家と認めることができるようになった。それと言うのも、『ピアノ協奏曲第二番』の初演は成功裡に終わったものの、彼はまだ交響曲の世界では成功を成し遂げておらず、『交響曲第二番』の第一稿は全く気に入らないものだったからである。この意味で、この『交響曲第二番』は、長い精神的な苦悩の果てに辿り着いた、ラフマニノフの創作における到達点であり、ピアニストであり指揮者でもあった彼の、音楽活動の頂点を極めた記念すべき作品である。

半面、ラフマニノフが交響曲での復活を賭け、渾身の力を賭けて作曲しただけに、『交響曲第二番』はその長大さが問題になった。ラフマニノフ自身もそれを認め、演奏会での便宜のために、何と100小節を超える大幅な削除を行い、大胆な短縮版を登場させたのである。それ以後、短縮されたことが原因か否かは知る由もないが、この交響曲は一時人々から忘れ去られてしまったかのように、演奏会で取り上げられることが少なくなってしまった。それを、再び世界的に有名にした演奏が、アンドレ・プレヴィン指揮のロンドン交響楽団の演奏である。

1967年、指揮者としてロンドン交響楽団を率いてロンドンデビューを果たしたプレヴィンが、その演目に選んだのが『交響曲第二番』であり、訪れた国々で最も反響が大きかったのもこの交響曲であった。この演奏会に先立って訪れたモスクワで、プレヴィンは当時のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の伝説的な指揮者であった、エフゲニー・ムラヴィンスキー(※14)から『交響曲第二番』の原典版の楽譜を手渡された。ロンドン公演で演奏した『交響曲第二番』は短縮版であったが、それ以後、プレヴィンはこの交響曲を元の形で演奏すべく研究を重ね、1973年1月、同じロンドン交響楽団とこの交響曲の完全版を世界で初めて録音している。今我々がこの交響曲、特にその第三楽章を現在の形で鑑賞できるのは、アンドレ・プレヴィンという逸材によるところが大きいのである。

<アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団、セルゲイ・ラフマニノフ『交響曲第二番』より「第三楽章」: ノーカット原典版として初めて録音された歴史的演奏。アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団の演奏は、あたかも管弦楽が甘く切ない調べをゆっくりとしたテンポ歌い上げるかのような、この上なき美しい名演奏である。また、映像にラフマニノフの様々な表情が映し出され、この類稀な作曲家と共に遠い過去を旅をしているかのような錯覚を覚える。大変貴重な動画である。>

 

 

※ここからアイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分です。ラフマニノフの『交響曲第二番』以降の生涯と、“ロシアン・メランコリック・スウィート”が形を変え、ショスタコーヴィチらの旋律によって、その命脈を繋いでいったことについて、説明しています。

 

<有料会員限定部分の小見出し>

 

■ ロマン派の響きを基調とした作品に固執した“遅れてきたロマン派”

 

■ 悲しみが深ければ深い程、転化された甘い旋律が名曲となる

 

■ “ロシアン・メランコリック・スウィート”を引き継ぐもの-『ショスタコーヴィチ交響曲第五番』

 

■ 極めて私的な苦悩から、国家の政治や社会体制と創作との間の苦悩へ

 

 

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<筆者プロフィール>Koichi Kagawa/1961年徳島市生まれ。慶應義塾大学法学部、並びに、カリフォルニア大学バークレー校大学院卒業。経営学修士(MBA)。1983年大学卒業と同時にシティバンク東京支店に入行。以後、今日まで複数の欧米金融機関でCOO等要職を歴任。現在、某大手外資系金融機関に勤務。幼少期からクラシックからジャズ、古典芸能、果ては仏教の声明に至るまで、幅広い分野の音楽に親しみ、作曲家とその作品を取り巻く歴史的・文化的背景などを通じ、「五感で感じる音楽」をモットーに音楽を多方面から考え続けている。 ⇒Koichi Kagawaさんの記事一覧はこちら

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