我が家の2代目猫「しゃら」が、生後5カ月で妊娠していることがわかったところで終わっていた第2回。第3回は、しゃらの出産と子供たちの物語だ。
そろそろ避妊手術かなと思っていた頃、しゃらのお腹が大きいことに気づいた。「まさか……。いやいや、生後5カ月で子供出来ないでしょ……」なんて思っていたら、そのまさかである。大きくなっていくお腹を見て、しゃらの妊娠に気づいた。しゃらが我が家にやってきたとき、あまりにうるさく泣くので、「外に出ていた子だったのかしら?」と仕方なくお散歩に出したことが数回あった。そのときか……。それならば元気な子たちを産んでもらわなければと、母はしゃらの栄養を気遣った。猫は妊娠から出産までわずか2カ月程。気づいてから出産まではあっという間だったが、出産予定頃になると、母は全ての予定をしゃらの出産を基準に立てていく。名古屋に引っ越す弟の部屋を借りる手続きは、春休み中の私に行ってきてと言われたり。もう、我が家の最重要案件だ。
しゃらの出産は1994年4月7日。春休みが終わり、せりとともに東京に帰っていた私に、母からの電話が鳴った。
「6匹産まれたよ!」
「6匹も!?」
しゃらの出産を手伝っていた母は、電話を切ってしゃらのもとへ。
すると、再び電話が鳴る。
「戻ったら、1匹増えてた! 7匹!」。
「7匹も〜!?!?」
生後4カ月で妊娠して、お腹で7匹の子たちを育てたしゃらは、本当に小さいお母さんだった。自分が育つ途中で子供たちに栄養をとられてしまったからだろう。あんな小さな体から7匹も産まれるなんて思ってもいなかった。次に私が帰れるのはゴールデンウィーク。とにかく写真をたくさん撮っておいてと母に頼んだ。お乳を飲んでいる写真と、寝ている写真ばかりが残っていて、遊んでいるところがないのが残念だが、子猫の集合体の写真はいつ見ても萌える♪
産まれた子猫は、産まれた順に、白黒→キジトラ→白→白→白→キジトラ白→黒。それぞれ見た目から呼び名を決めた。白黒は「ぶちちゃん」、キジトラは「次郎ちゃん」、白3匹は耳としっぽに色がついてきた子を「ねずちゃん」、顔にM字がある子を「Mちゃん」、そのM字がてんてんと離れている子を「てんちゃん」、キジトラ白 を「みけちゃん」、黒を「くろちゃん」。Mちゃんだけが女の子だ。産まれたときは100g程の卵サイズだった。猫の乳首は通常8個あるが、全て母乳が出るわけではない。しゃらの場合は母乳が出るのは6個だった。7匹がいっせいに飲もうとすると戦いになる。母は1匹残すと決めていた次郎を「お前は家に残る子だから、他の子と代わってね」と引きはがしては、末っ子でとろかったクロちゃんにお乳をあげていた。一匹残すと決めていた母は、次郎がしゃらと一番似ていたからと選んだ。
しゃらは子煩悩な母猫で、7匹の子育てを一生懸命やっていた。ゴールデンウィークになって、せりを連れて岡山に帰ると、せりは多分驚いたのだと思う。大好きだったしゃらお母さんが、自分ではなく知らない子猫たちを世話していることに焼きもちをやいたのか、とにかく子猫たちが大嫌い。わらわらと寄ってくる子猫たちに怒りまくった。「私のお母さんなのに……」とすねていたのだろうか。それでもしゃらはせりも可愛がってくれて、本当にいいお母さんだった。愛情が強すぎて、子猫達のひげを噛み切ってしまうのだ(愛情が強すぎる母猫がやることがあるそう)。ひげを切られた子猫たちはバランスが取りにくかったり、自分自身の体の幅がわからなくなる。ぶちちゃんが、オーディオ棚の配線用の丸い穴に頭がはまってしまったことがある。抜けられなくなり板を割って救出した。
そして、大変だったのが里親探しだ。絶対に大事にしてくれる人を捜さねばと、色々な方法で探しはじめた。知人、友人に聞いたり、父の勤める会社の社報に載せてもらったり。まず、社報を見た家族がもらいに来てくれた。猫を初めて飼うそうで、2匹飼いたいと言ってくれた。子猫たちを見にきて、ねずちゃんとみけちゃんを選んだ。後で聞いた話によると、ねずちゃんは人間大好き、抱っこ大好き猫、みけちゃんは抱っこはあんまり好きじゃないというタイプで、ちょうどいい組み合わせだったようだ。新しい名前は、ねずちゃんが「シオン」、みけちゃんが「ラッキー」になったと報告してくれた。
次に、しゃらの元の飼い主の友人が飼いたいと見に来てくれた。女の子がいいとMちゃんを選んだ。新しい名前は「空(そら)」。さらに、私の友人が長崎の実家で飼いたい、黒猫がいいと、くろちゃんを選んだ。母は長崎まで連れていった。新しい名前は「ジョイ」。みんな、新しい家族の元で可愛がってもらえて、いい出会いになった。
ここまで決まるだけで、母はぐったり。3匹残ってもいいかなーといいはじめた。実は私はてんちゃんを、弟がぶちちゃんを気に入っていたので、「じゃあふたりも残して!」と頼み、3兄弟を「ぶち太郎」「しゃら次郎」「てんてん三郎」と改めて名付けた。こうして我が家は5匹の猫を飼うことになった。しかも全員同い年のゼロ歳猫たちである。
その年、岡山から千葉に戻ってくることになり、5匹の猫達と引越すことになった。10月10日、猫たちを連れて、千葉までの大移動。母と私は、5匹の猫を連れて新感線で東京に向った。女の子2匹と男の子3匹。もう、皆大人サイズだから、本当に大変だった。猫の顔が覗いたキャリーバッグを両手に下げた母の後ろ姿が、田舎から大荷物を抱えて上京する人みたいであまりに可笑しくて、大笑いをしながら付いていった。私も猫を抱えながら。当時の新感線には個室があった。ドアに鍵をかけて、個室に猫たちを解放した。狭い空間に人間2人と猫5匹。東京までの3時間半の旅。なんだかわくわくしながら電車に揺られた。
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※岩村美佳さんのエッセイ、「私と猫たち」は隔週月曜日(月曜祝日の場合は火曜日)に掲載しています。
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<アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】>
大きくなったしゃらの子供たちに再会。大きくなった子猫たちそれぞれの写真も。(岩村美佳)
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