映画「ファルージャ」上映と、高遠菜穂子さん講演会レポート | アイデアニュース

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映画「ファルージャ」上映と、高遠菜穂子さん講演会レポート

筆者: 松中みどり 更新日: 2015年5月26日
和泉シティプラザで講演する高遠菜穂子さん

和泉シティプラザで講演する高遠菜穂子さん

今も単身イラク支援を続ける高遠菜穂子さんの講演と、ドキュメンタリー映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして」の上映が2015年5月24日、大阪府和泉市の和泉シティプラザで行われました。外国人の人質にオレンジ色のジャンプスーツを着せて次々と殺していく過激派組織”イスラム国=IS”の残虐さにショックを受けた後、ことの背景を一番よく知っているはずの菜穂子さんの話を直接聞きたかった筆者は、ずっと見たかった映画「ファルージャ」の上映もあるということで、押っ取り刀で駆け付けた次第です。この人が見てきた恐怖の現実は、想像よりもずっと日本に関わりがあり、日本のすぐに側まで迫っていました。

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」ホームページの予告編より

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」ホームページの予告編より

2003年、イラク戦争開戦。自衛隊派遣。その時戦争反対を訴えていた女子高校生、伊藤めぐみさんが10年後に撮ったのがドキュメンタリー映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして」です。傷つき死んでいく子どもたちの姿を見れば、戦争はいけないとみんな分かってくれる。そんな素直な気持ちをデモで訴えていた伊藤さんは、あっさりと空爆が始まったことにショックをうけ、自衛隊派遣に驚き、2004年のイラク日本人人質事件で吹き荒れた高遠さんたち人質3人へのバッシングに怖さを感じます。戦争反対を訴えた自分にも批判の目が向いているようで、国の政策に反対したり、違うことをすると、あんな扱いを受けるのかという恐怖。その後テレビ番組制作会社でADとして働くようになった伊藤さんは、あの戦争、あの事件が、自分にとっての大きなターニングポイントだったことに気がつき、イラク戦争から10年の節目にこの映画を撮る決意をしました。

フィリピンでNGO活動をしている筆者も、あのバッシング(人質となった3人への凄まじい「いじめ」)に対して、強烈な違和感と恐怖を覚えたひとりです。海外で活動することの重さを突き付けられた気がしました。「自己責任」という言葉で、権力を持つ側と違う意見を持つ人や、行動をした人を切り捨てることに怒りを覚えました。そのくせ、菜穂子さんたちに何もできなかったこと、こんなバッシングはおかしいと、きちんと声をあげられなかったことを後悔しています。そんな気持ちをまざまざと思い出させた「ファルージャ」は、痛い映画でした。

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」ホームページの予告編より

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」ホームページの予告編より

あれから10年、いまだ戦争状態にあるイラクで、高遠菜穂子さんは支援を続けています。先天異常を持つ子どもの調査を行い、時には日本人医師を招いて手術をしてもらうコーディネイトをする。そんな彼女の様子をカメラは追います。つまり、開戦当時高校生だった伊藤めぐみ監督は、10年を経てイラクまで撮影に行ったということなのです。だからこそ描けた当事者の現在。素晴らしいと思いました。

映画の中で、菜穂子さんが涙をこらえながら話すシーンがあります。菜穂子さんは、匿名で送られてくる嫌がらせの手紙の中に、家族の名前を記して「天誅」と書かれていたことに大きなショックを受けました。あのまま殺されてしまった方がよかったと泣く菜穂子さんの頬をたたき、「二度とそんなこと言うんじゃないよ!いつまで寝てんだ!早くヨルダンでも行ってイラク人に会ってこい!」と言ったのがお母さん。支援をやめるなんて許さないと背中を押してくれたのだそうです。

映画上映の後、菜穂子さんの講演が始まりました。

和泉シティプラザでの高遠菜穂子さん講演で使われた資料

和泉シティプラザでの高遠菜穂子さん講演で使われた資料

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」ホームページの予告編より

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」ホームページの予告編より

このふたつの写真を見比べて下さい。上は2003年、イラク戦争開戦の時に撮られた写真で、下は2013年のドキュメンタリーの一場面です。誰に攻撃されたかは違えど、ファルージャ総合病院に運びこまれて横たわる姿は同じ。菜穂子さんによると、2003年には、ファルージャに入ってきた米軍に攻撃されたというイラク人が病院にたくさんいたそうです。ファルージャの小学校を占拠した米軍に抗議してデモをしていたら、米兵に撃たれたという話でした。そして、下の負傷者は、デモをしていたらシーア派主導のイラク政府軍に攻撃を受けたスンニ派市民。10年たっても、人々が暴力に曝されている状況が変わっていないということを、まず菜穂子さんは強調しました。「『これがデモクラシーなのか、デモクラシーって人を殺すことか』というセリフは、10年前にも突きつけられたし、今も同じことを言われる。一生懸命イラク支援をやってきたけれど、10年以上たっても同じ言葉を投げかけられて、自分は何をやってきたんだろうと落ちこんでしまう」。そんな風に語る菜穂子さんでした。

日本にいるとなかなか入ってこない情報として書き留めておきたいのは、”スンニ派の人たちのデモ”はいったい何を訴えているのかということです。デモの要求は、スンニ派を対象とした不当逮捕や拷問や処刑をやめてほしいということ。そして、逮捕されている人々を釈放してほしいということなのです。2005年、イラク移行政府の発足直後に「反テロ法」が作られました。それ以降、スンニ派市民をテロリストとみなした凄まじい拷問や非人道的な行為が続いています。講演会でも、ひどい拷問のあとが残る遺体の写真が紹介されました。”スンニ派狩り”を可能にしている「反テロ法」を撤廃してほしいと訴えているのがスンニ派の市民のデモだというわけです。

イスラム教というと十把ひとからげにしてしまう私たちですが、それでもスンニ派、シーア派という言葉はよく耳にしますね。イスラム圏の多くはスンニ派の国ですが、イラクの隣国イランはイスラム教シーア派国家と名乗っている通り、シーア派の国。イラクはもともとは、スンニ派とシーア派が共存してきたという特徴がある国。サダム・フセインはスンニ派で世俗主義の政治家でしたから、アメリカが独裁政権を倒した後のイラクは、シーア派が台頭し、原理主義も力を得ているのです。

菜穂子さんは言います。「シーアでもスンニでもクリスチャンでもイラクのために働く政治家だったら誰がトップになってもいい。だけど、この12年間見てきて、残念ながら新しい政府はイラク国民のために働いていないと思う。シーア国家のイランのために働いているように見える。アメリカとイランのダブル占領状態だと言われていて、これが、”イスラム国=IS”が勢力を拡大した大きな要因のひとつだ」 。ISもスンニ派ですが、他のスンニ派からは、主義・思想の相容れない存在だと思われています。それでも、あまりに過酷なシーア派政権の暴力に抵抗するため、イラクのスンニ派の人々はISを黙認してしまったというわけなのです。シーア派による凄まじい拷問の被害者やその家族、関係者がISに協力するのは、まさに暴力と憎しみの連鎖です。ISだけが残虐なのではない、先に酷いことをしたのはそちらだという主張がある程度受け入れられる下地は、イラク移行政府発足直後からあったのです。

アブグレイブでの米軍による拷問は、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。フセイン政権が倒れ、米軍の監督下に入ったアブグレイブ尋問センターで、「戦犯」「テロリスト」と目された人々を非人道的に扱い、過酷に拷問した米軍人たちは、悪名高いグアンタナモ基地での拷問マニュアルを使っていました。

「アブグレイブのようなイラクの米軍刑務所がなければ、ISは生まれなかっただろう」というIS幹部の言葉も、菜穂子さんは紹介しました。それはどういうことなのでしょうか?米軍が対テロ作戦を集中して行っていた2003年、手薄になった国境線を越えてイラクに流入してきたISの前身であるアルカイーダ系の人たちもまた、米軍刑務所に収監されます。そこで、現在のIS幹部たちは親交を深め、拷問や尋問テクニックを”学んだ”のです。ここから出たら、こんな風にやってやろうと話をしていた彼らは、だから今、外国人の人質にオレンジ色のジャンプスーツを着せて、酷い扱いをするのです。自分たちがかつてされた通りに。ISは、対テロの名のもとに行われている暴力から生まれたモンスターなのでした。

2014年は、イラク戦争開戦以来、最悪の年だったと菜穂子さんは言います。2013年の映画「ファルージャ」の中で菜穂子さんが寝泊まりしていたファルージャ総合病院では、日本人医師が菜穂子さんのコーディネートで手術を行っていたり、劣化ウラン弾の影響で先天異常をもった子どもが生まれていることに関して女性医師がインタビューに答えたりしています。町では戦争で壊れたままになっていた建物が10年経ってようやく再建され、病院でも落ち着いて活動が出来るようになっていました。この調子ならもっともっと仕事が出来る。「ようやくイラクは復興への道を歩き始めたなあ」と菜穂子さんと現地の人々が明るい気持ちになっていた2013年の暮れ、12月28日から始まった「対テロ」攻撃がすべてを変えました。平和的なデモをおこなっていたスンニ派の人々に、これまで以上の圧倒的な暴力が振るわれました。病院も例外ではなく、ファルージャ総合病院も菜穂子さんが知るだけでも実に39回の空爆を受けます。映画に出てきた人たちも殺されたり、逃げ出したりして、ファルージャとラマディから40万人もの避難民が出ました。現在260万人の避難が国際移住機関によって発表されています。医療ミッションを行うことは出来ず、ヨルダンやイラククルド自治区で緊急支援に追われた菜穂子さん。彼女のブログやSNSでそうした状況を知らされていた筆者も、2014年がどんなに大変な年だったのかを改めて確認しました。「今は、砂漠に水をまくような支援しかできていない。悔しい。力を貸してほしい」と菜穂子さんは言いました。

高遠菜穂子さん

高遠菜穂子さん

日本にいる私たちが知らなかった、あるいは知ろうとしてしてこなかったイラクの人々の苦しみを、菜穂子さんが壇上で代弁していました。その苦しみの核にある国際社会の責任に、「知らなかった」と目をつぶるわけにはいかないのです。なぜなら日本はもうとっくに、イラクの人々を苦しめ弾圧する側だとしっかり認識されているからです。イラクで人質となり拘束される際、菜穂子さんが日本人だと分かると首を掻き切るジェスチャーをして見せたイラク人男性は、過激派でもなんでもない普通の市民だったそうです。アメリカに協力し、自衛隊を派遣してきた日本。イラクをはじめとする中東の人たちがもっていた平和国家ジャパンのブランドイメージは当時すでに壊れていました。トヨタが来てくれると思ったところに兵士を送り込んだ日本は、かつて広島・長崎で苦しんだ国ではなく、イラク市民に暴力をふるう大国アメリカに追随する国としてイラクの人々の目に映っていたのです。アメリカが空爆をすれば、戦争反対と非難する平和運動をしている人たちも、現在のイラク政府が行っている人権侵害にはなぜそんなに無関心なのかと、菜穂子さんは言います。今や、ISからもイラク政府からも、つまり「テロ」「対テロ」のどちらからも殺傷されるスンニ派市民たち。菜穂子さんのFacebookには4月16日、こんな言葉が書かれています。 ~~ファルージャの友より「弟が殺された」と連絡あり。空爆は市民を巻き込み過ぎている。ファルージャの友の弟が死んだ空爆は他にも多数の市民を巻き添えにしたとのこと。一方ラマディからは再び大量の避難民。ISが政府に協力している部族の出身者というだけで丸腰の市民まで襲っているそうで、人々はパニックに陥っているとのこと。「テロ」も「対テロ」も私の友だちを殺してばかり。~~

イラクのシーア派民兵による蛮行なども、海外のマスコミは残虐な映像を使って報道します。しかし、日本では日本人が拉致されたり殺されたりということでもなければ、ほとんど報道されない。まるで情報鎖国の状態だと菜穂子さんは言います。「イラクの状況を報道してほしい」という彼女の願いを阻むもっとも大きな壁は、しかし視聴者の側にあると話は続きました。この頃「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」などと揶揄されるマスメディアですが、世界情勢を報道しないメディアの大きな足かせは、視聴者からのクレーム。アメリカのテレビ番組でさえ取り上げた、イラク軍による残虐な映像~少年を打擲し、殺す映像~は、残酷すぎて日本のマスコミでは流せないと言われるのだそうです。ちょっとでも流すとすぐクレームが来て、視聴率に影響が出る。3・11の津波の時の映像でも、遺体が映らないように細心の注意を払わないと視聴者から文句が出るのが日本の状況だということは、「マスゴミ」を作った責任は私たちにもあるのではないか?残酷だから見るのはいやだと本物の映像を見ようとせず、生ぬるい番組ばかり喜んで見て、情報鎖国状態の日本を作ったのは、私たちでもある。そんな話も出ました。

そして、そんな情報鎖国の状態で、現地の映像を見ることもせずに、世界の情勢をきちんと学ぶこともせずに、いろんなことを決めていいのでしょうか?政府が急いで進めている方向に行っていいんですか?集団的自衛権の行使を可能にしたり、自衛隊の海外派兵を拡大したりってこと、本当にいいの?後悔しない?と菜穂子さんが畳みかけます。日本人が駆り出させれる可能性の高い「後方支援」を考えてみても、対テロ戦争には後方も前方もないですよ。ゲリラ戦の戦場に前も後ろもない、どこで何があるかわかりませんよ。対テロ戦の戦場では、セキュリティの要である検問所で、護衛をつけている武装した人たちから暗殺されているんです。現在の新しい戦争のこと、ボーダレスな”国境なき戦争状態”を知らないままで、いいのでしょうか。菜穂子さんの問いかけに、座っているのも苦しいような焦燥感を覚えました。もっともっと時間が欲しい、賢くなりたい、勉強したいと思いました。

菜穂子さんたちの人質事件の後で起きた2004 年”イラク日本人青年殺害事件”。「首を切られて殺された香田 証生(しょうせい)さんの遺体は、バグダッドの路上で星条旗の上にあった。アメリカの一部として日本人が殺されたんです」と声を振り絞る菜穂子さん。日本はとっくに戦争に巻き込まれている、私はそれを経験したという菜穂子さんの言葉に、聞いていた私たちはこの人が歩いてきた道のりを思って言葉がありませんでした。

講演会後、知人らと話す高遠菜穂子さん

講演会後、知人らと話す高遠菜穂子さん

講演会の後、友人同士の気楽な集いの中で、菜穂子さんは、「今こそ日本人に海外に行ってほしい。イラクだけでじゃなく、世界をもっと見てきてほしい。なにも戦場に行く必要はない。どんなところでもどんな仕事をしていても、世界はつながっていて、そして日本の姿は、外からこそよく見えるよ」と話しました。絶望的な状況の話を伝えながら、それでも私たちに出来ることがあると教えてくれたのだと思いました。

これからも、高遠菜穂子さんが伝えてくれるイラクの状況を知りたいという方は以下のページをチェックしてください。

(1)イラク支援もアラブな日々も写真とともにFacebookで!高遠菜穂子のフェイスブック http://www.facebook.com/nahoko.takato

(2)現地からもつぶやいています 高遠菜穂子のツイッター http://twitter.com/NahokoTakato

(3)プロジェクトの進捗や収支、最新のイラク情勢などを書いているブログ 高遠菜穂子のイラクホープダイアリー http://iraqhope.exblog.jp/

(4)イラク支援に関わる団体や個人のネットワーク。最新情報はメルマガでも イラクホープネットワーク http://iraq-hope.net/

☆補足

上記のレポートで取り上げることが出来なかった今井紀明さんについて少し補足させてください。

ドキュメンタリー映画「ファルージャ」のもう一人の登場人物、高遠菜穂子さんと一緒に日本人人質事件の当事者として激しいバッシングを経験した今井紀明さんのことです。
2004年当時高校生だった今井さんは、武装勢力にナイフを突きつけられた時よりも、解放後、日本に帰国してからのいわれない非難や罵倒の方が恐怖だったと言います。日本中の人が自分の顔を知っていて、道を歩けばいきなり殴られる・・・そんな日々の中で深く傷ついた今井さんでしたが、映画の中で見る今井さんは、10年を経て、素晴らしい青年に成長していました。

現在、大阪でNPO法人D×Pを立ち上げ、通信制の高校に通う若者の支援に取り組んでいる今井さん。
「僕たちのNPOは、不登校や引きこもりを経験した若者の自立支援を目的にしている。彼らは、教師や友人たちの批判で心に傷を負ってきた。かつて激しいバッシングにさらされ、対人恐怖になった僕と似ている。自分にとってはつらい記憶で、複雑な思いはあるが、それが一度挫折した若者の心境に寄り添うきっかけになった」と2014年1月の神戸新聞に答えている彼は、あの経験が今の自分を作っていると語り、映画の中でも明るい表情を見せていました。

それでも、菜穂子さんがそうだったように、この人はどんな重荷を背負ってきたんだろうと思う場面がありました。どん底を見た彼が、マイナス状態だった心を何とかニュートラル:ゼロの状態に持っていったけれど、「ゼロにするまでに4~5年かかりました。あの時期のことだけは思い出したくない」とそれまでとは違う表情を見せて言ったときです。自己責任という言葉が飛び交ったあのものすごいバッシングをどうすることも出来なかった人間として、本当に申し訳なく思いました。

「責任」はresponsibility ですが、「自己責任」にはぴったりする英語はありません。強いて言えば、at one’s own risk でしょう。自分でリスクを負うというような意味ですが、菜穂子さんや今井さんの”人質事件”のことで言えば、国民である菜穂子さんたちをとことん守る重い責任があったのは国の方です。

映画の中で、人質となった今井さんたちの解放を待っている家族や周りの人たちを取材していたジャーナリストの言葉が心に残っています。解放を待つ間家族たちが待機していた事務所に、ファックスが入り始めて、一部は人質となった人たちを非難するようなものだった。ある新聞がそれを「人質に批判のファックス相次ぐ」という記事にしたら、どんどんそういうファックスが入ってくるようになった・・・そのジャーナリストが後になって数えたら、批判的なファックスは500通、頑張れと激励していたファックスは800通だったそうです。応援のファックスがたくさん届いているという記事が出ていたら、バッシングの流れは変わったでしょうかという問いに、「メディアってどうしても、これは問題だと思う方を記事にする。飛行機が1台落ちたら記事にするけど、今日もこれだけの数の飛行機は落ちませんでしたとは書かないじゃないですか」と答えています。

私は「問題」だと思うことも取り上げたいですが、同時に「こんなに嬉しいことがありますよ、こんな素敵なことがありましたよ」と紹介したい。今からでも書きます。

菜穂子さんや今井さんを応援し、無事を願い、早く解放されますようにと書かれたファックスが事務所に800通も来ていたのですよ!批判の内容のものより多い数ですよ!

これからもアイデアニュースには、たくさんの希望の言葉を書いていこうと思います。

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<筆者プロフィール>松中みどり(まつなか・みどり) フィリピン支援ボランティア/英語講師/ライター 初めて行った外国がフィリピンで、以来かの国の人々の明るさ温かさに魅せられ、様々なNGOや支援活動に関わる。1994年からは山岳先住民アエタの教育支援主宰。コミュニケーションツールとしての英語を各地で教えている。動物好きの自称「ケモノバカ」。飼い猫は黒猫で親バカ度も加速中。 ⇒松中みどりさんの記事一覧はこちら

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